これからの正義の話をしよう [本]

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久々の記事更新ですが、また本の話題で書かせていただきます[本]

「これからの正義の話をしよう」はハーバード大学のマイケル・サンデル教授の講義「Justice(正義)」の講義で扱っていることを抜粋してまとめたものです。

私たちは何を「正しい」と感じて支持や称賛をし、何を「間違っている」と感じて批判や忌避をするのか。またそれはなぜそう感じるのかについて分析し、カントやロールズ、アリストテレスなどの哲学者たちがそういったテーマにどのように挑んできたかを紹介しながら、「正義とは何か」について読者と一緒に考察しています。


ざっとその内容と感想をまとめます[ペン]


①「暴走する路面電車」

あなたが路面電車の運転手だったとする。走行中にブレーキと警笛が故障し、列車が暴走してしまい、前方の線路上では5人の作業員が列車の接近に気付かずに作業をしている。 しかし脇に逸れる線路があり、その先では1人の作業員が作業をしている。 5人か1人か、どちらかを確実にひき殺してしまう状況で、あなたは路面電車の進路をどちらに向けるだろうか?

この問いに対しては多分「1人をひき殺す」を選ぶ人が多いかと思います。
その選択をした人は、失われる(助かる)命の「数」を比較し「1人<5人」という結論を出しているわけですが、では以下の場合はどうでしょうか?

あなたが暴走する路面電車を橋の上から見ていた場合です。あなたが何もしなければ5人の作業員は轢かれてしまいますが、あなたのとなりに大柄な男性がいて、その人を線路の上に突き落せば路面電車を止められるとすれば、あなたは5人の作業員の命を救うためにその男性を突き落しますか?

前の問いで「1人の作業員をひき殺す」と答えた人は、その原則に則るならこの状況でも「男性を突き落す」ことを選択するべきでしょう。
「1人が死んで5人が助かる」という結果は同じですし、命の「数」が判断の基準になっているのですから、本質的にも何ら変わりはありません。

ところが、実際には第2の問いでは「突き落す」を選択する人の割合は、第1の問いで「1人をひき殺す」を選択する人よりも少なくなります。

第1の問いと第2の問いであなたの出した答えが違うとすれば、それはいったいなぜでしょうか?



②「自分は自己の所有者か」

私たちは自分自身が自己の生命や財産、権利や尊厳の所有者であると定義してよいでしょうか?
もしそうだとすれば、他人のそれを侵害しない限り、自分のことはすべて自分で決めてよいし、その結果に対して責任を負っていれば何ら問題はありません。

一見その自由主義の原則は筋が通っており、正しいように見えますが、現実に存在する法律や慣習はそれと矛盾していることが多々あります。

たとえ双方が同意をしていて、なんの不利益も被っていなかったとしても、売春をしたり、腎臓の片方を売ってお金を得たりすることは禁止されているし、それを容認することを正しいと思う人はいないでしょう。 また、自分で働いて稼いだお金も全て自分のものになるのではなく、実際には税金という形で強制的に一部を接収されています。 「他者に迷惑をかけない限り自分のことは自分で決める」という自由主義の原則を当てはめるなら、売春や臓器売買、自殺ほう助などは個人の自由であり、一方でその使い道に拘わらず、あらゆる税金は個人の自由と権利を侵害する「悪」ということになります。

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ほんの一部を抜粋&要約しただけですが、①と②を通して「見えてくる共通のもの」があると思います。

それは、「人は単なる個人としての存在だけでなく、社会(共同体)に組み込まれた存在である」ということ

なぜ、5人を助けるためであっても、1人の男性を線路に突き飛ばすことを「正しくない」と感じるのか、たとえそれが誰かの命を救う結果になるとしても、臓器を売買することはなぜいけないのか?

それはどちらも人の生命や尊厳を「結果を得るための手段(モノ)」としてしか扱っておらず、「お互いを尊重し合う」という共同体としての理念が欠如しているから。
そのような人に対する敬意を欠いた判断基準は、得られる結果に拘わらず、私たちに受け入れ難いものであるとのこと。
どうやら私たちは結果だけではなく、動機や方法によっても善悪を判断しているようです…

税金に関しても、努力を含めた自身の能力で正当に得られた収入であっても、それはその才能を持って生まれたことやそれを高く評価してくれる社会・時代に生かされているという「運の良さ」が多々あるわけで、高所得者に余分に課税してその辺の「格差」を是正するのは「不公正」とは言えないと。


なるほど…Σ(゚д゚)ゝ
脳科学者が言うには、努力できるかどうかも「才能」に因るところが大きいらしいですが、個人的にはその他の才能とは分けてほしいかなぁw

前述の「動機」に関してはもっと分かりやすい例えがありますね。
私がこうして読んだ本のことをブログに書いていることを例に挙げましょう。

ブログの文章がすべて同じだったとしても、私が「その本を紹介することが自分や読んだ人にとって有益であると考えているから」という動機で書いているのか、あるいは「知的路線をアピールして異性にモテたいから」という動機で書いているのか(笑)

文章は全く同じで、(微々たるものですが)社会的に与える影響も変わらないとしても、その評価に動機の差は関係がないでしょうか?

本についてブログを書くことは、どちらかといえば「良いこと」の部類に入るかもしれませんが、動機が後者の場合、「奨励はされても称賛すべきではない」という評価が妥当なところですね。

ちなみに私は単純に本が好きで、本の話題で誰かと交流ができればもっと楽しいかな~っていう動機で書いているだけなので、「立派だな~」とか思っちゃいけません(笑)
ダメ 絶対(ぉぃ


この本ではあくまでも人の価値観は「十人十色」であるということを前提にしており、特定の考え方を押し付けるようなものではありません。

ですが、少なくとも「自分は何を正しいと思うのか、またそれはなぜか」について考えるくらいのことは必要で有意義なことではないでしょうか?


路面電車云々以外にも興味深い話がたくさん載ってますので、興味のある方は是非☆
タグ:読書 哲学
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マチャ

話題になってますね、サンデル教授。
by マチャ (2011-05-02 17:04) 

TAMA

「自分は何を正しいと思うのか、またそれはなぜか」
確かに考えたいですね。

たとえば電車で化粧する人を見かけたら、私はマナー違反だと思いますが、
やってる人は悪いと思って無いのでは?

親のしつけが悪かった?それとも根本的な考えの違い?
確かに「電車での化粧禁止」とは書いてないですが・・。

色々な考え方が有りますね。

サンデル教授の授業、また日本でもやって欲しいです。
どんどん指名して発言させて行くのにハラハラしましたが、
面白かったです。
by TAMA (2011-05-02 18:08) 

ころとん

マチャさん

話題に流されて読んでしまいましたw
by ころとん (2011-05-02 19:18) 

ころとん

TAMAさん

>>
「自分は何を正しいと思うのか、またそれはなぜか」
確かに考えたいですね。
<<
しいて付け加えるなら、その基準の「適用範囲と例外」ですね。

例えば嘘をつくのは基本的に悪いことだけど、もしも自分が屋根裏にアンネ・フランクをかくまっている立場なら、ナチスの兵士に「ここにユダヤ人はいない」と嘘をつくのは悪いこととは言えませんし。

電車の中での化粧、法令違反ではないので注意するにしてもどう言っていいか難しいところですねw

「外国人からもマナーが悪いと思われたら、彼らが日本人に対して敬意を払わなくなる」とか、「周囲への注意が散漫になり、犯罪に対するガードが甘くなる」とか功利(結果)主義的な点からはいくらでも言いようがあるでしょうけど…

by ころとん (2011-05-02 19:30) 

ゆうてん

記事のコメントと食い違うのですが、「路面電車」に反応しました。
先日、長崎に帰郷したのですが空港⇔長崎行のバスに乗っていました。
長崎市内に到着してからなのですが、バスの中にいた私は車道で人が倒れる姿を後方から見ました。
その、直後には軽自動車が見えました。
私は、人身事故だと思い停車中のバスを飛び降りました。
まもなく、撥ねられた思われた人は何も無かったようにバイクで走り始めました。
要は、線路のレールで滑ってバイクが横転したのを人身事故と見間違えました。

とっさの状況でしたので、考えるより体が反応しました。

極限の状態では、どのように判断するのか?
むずかしいですね。

by ゆうてん (2011-05-02 22:53) 

たかぴ

深いぜこの本(何
時間があればぜひ読みたい・・・かも←
by たかぴ (2011-05-03 00:35) 

ころとん

ゆうてんさん

極限の状況、本を読んでいてこれは非常に重要だと感じたことです。

余裕のあるときはいろいろ考えられるでしょうけど、切羽詰まった状況で下した決断がよくない結果を招いたとしても、それは冷静に判断できる状況で下された決断と同様に非難してよいものかと…

人身事故の恐れ有りと判断し、救助に備えたゆうてんさんの決断は冷静で的確だと思います!
by ころとん (2011-05-03 02:11) 

ころとん

たかぴさん

今テスト勉強で頑張っているたかぴさんにとっても、身近な出来事について当てはめられることが多いと思います!

本は恋と違って逃げたりしないから、時間ができたら是非読んでみてね(^^)b
by ころとん (2011-05-03 02:18) 

don

なかなかに、考えさせられる記事ですね^^
by don (2011-05-03 18:19) 

ころとん

donさん

最近は不景気の影響もあって、結果オンリーの世知辛い世の中になりつつありますねw

たまには立ち止まって、結果だけでなく動機や手段を振り返って、それが最善であるかどうかを考えるのも悪くないなと思います^^;
by ころとん (2011-05-04 00:32) 

mignon

アラブにも、イスラエルにもお互いの“正義”がある。つまりこれらの“正義”は立場によって変わる。でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです。
byやなせたかし
さらりと語る正義もいいもんです。それこそやなせさんが絶対的かどうかは別としてこういうコメントを受け止める感受性は無くしたくないですね。
by mignon (2011-05-04 03:04) 

ころとん

mignonさん

コメントありがとうございますm(_ _)m

この本では人道支援についても触れていましたよ。
それ自体が正しいか否かというものではなく、「日本政府はアフリカの飢えている子供を救うために、それほど困っているわけでもない日本国民の福祉を犠牲にすべきか?」という感じの扱いでしたけど。

「軽傷の患者と重傷の患者がいたらどちらを先に治療するか」と問われれば「重傷患者」と答えるのが普通ですし、「よりそれを必要としている者に分配する」ことは公正さの条件ですが、上記の場合はそれが絶対の公正であるかは疑念が生まれますね。

アリストテレスは「国家が国民に対し、万人に与え得るものしか与えないのであれば、我々はどうして国家を愛せよう?」と言ったそうです。


私も「飢えている人に食べ物を差し出す」ことは正義であると信じています^^

カントに言わせれば「恩を売っておこう」などの不純な動機じゃなければですけどね

相手の立場を思いやる感受性、大事にしますっ(><;)





by ころとん (2011-05-07 00:46) 

shiki

正義と悪の問題って、複雑で、大変な事ですよね

上の路面電車の話の問い一の方、
進路変更して男一人を犠牲にするというのも、
5対1という客観的観点から見たらまぁ、確かに自分も1を選択しますが
1の人の親類友人からすれば犠牲に選んだら恨まれるのは当たり前ですし、
また一人で作業してた彼が身体に不自由を抱えてる(たとえば骨折してるとか風邪ひいてる)かどうか、っていうので周りの人のリアクションも変わる気がしますね
風邪の人よりも健康な5人の方が生存確率は高い気がしますしね

話がまったく違うわけですが、
5人が衝突した場合と、一人が衝突した場合、衝撃に変化はあるのですかね?
数が多い分衝撃が分散される、とか←
ないんですかね~?

尊重という言葉は、コンビニ店員をしてるとすごく身にしみますね
敬うとか、お礼をいうとか、そういうのって、現代人の大半はしないですからね←自分も昔はそうでしたね~
よくTVとかでみる店員にキレるとかって、ありえないでしょとかって思ってたけど、意外とあるって事を知りましたね

まぁ、そんな環境にいるせいか、自身の行い自体は大~~~~~分よくなりましたけどねw

ころとんさんの記事は、勉強になります←勧めてる本を読もうとはあまり思いませんがw
by shiki (2011-05-09 23:17) 

ころとん

shikiさん

お久しぶりです(^^)ノ コメントありがとうございます。

>>
周りの人のリアクションも変わる気がしますね
<<

そうですね。結果論になるんですけど、最終的に大事なのは受け取る側のイメージなのかな?と思います。

>>
5人が衝突した場合と、一人が衝突した場合、衝撃に変化はあるのですかね?
<<

う~ん、大柄な男性一人で止められる列車なら、5人のうち最初1番目と2番目にひかれた人が亡くなって、ほかの3人は重傷とかで済むかもw

私もコンビニでバイトしてたので、それなりに似たような振る舞いの方々には遭遇してます(^^;ゝ

本は時間のある時に、読みたいものを自分のペースで読めばいいと思いますよ
まあ本自体は読まなくても、私の記事を読めばちょっとした雑談のネタくらいにはなるかも(笑)
by ころとん (2011-05-10 19:50) 

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